これまでの「喫茶文」をランダムにご紹介していきます。
今日は、初回2021年4月28日の喫茶文をご紹介。
この日の参加は、山羊昇・背中す春。
改装前のイノダコーヒ三条店さん(目下、改装工事中ですね)に、お邪魔して行いました。
初回にも関わらず、朝寝坊の大遅刻だった背中...。ごめんなさい山羊さん。
それぞれコーヒーとケーキなどを頂きながら40分でお話を書きました。
仕事も創作も私生活も何かとタイトでハードで...へとへとだったこの時期の私にとって、「喫茶文」は、自由で安らかで気兼ねない創作ができる大切な憩いの時間となっていくのですが、まだそんなことは知る由もない始まりの日でした。
2021年4月28日の喫茶文での作からは、背中す春のお話をご紹介。
執筆時の手書きの作も写真で掲載します。
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喫茶文1
2021年4月28日
イノダコーヒ三条店(キルシュトルテ、ストレートコーヒー・ジャーマン)
執筆:背中す春
しめってうなだれているパンジーの紫と白と濃紅が、大ガラスの窓向こうの植栽にうわって、しとしと雨の中にいる。
窓ぎわの席にさっきまで座っていた女性は離席していた。
いついなくなったんだろう。コーヒーと、小さな荷物、そして彼女。あまりにも身軽そうにみえた。
彼女は大ガラスの向こうの通りをじぃっとながめていた。しとしと雨音は店内にはきこえない。さっきまで自転車を走らせていたときの湿ってひんやりした空気をまだ皮フが覚えていたのと、マスク越しにも多少かおる雨にぬれたアスファルトの臭いを想い出し、大ガラスの向こうのしとしと雨の世界を想った。窓ぎわの席の彼女は、そのしとしと雨の世界とよく溶け合わさって見えて、少しさみしそうに見えても少し美しくて、画になる彼女に少し夢を見ていた。離席して誰もいなくなったあとのテーブルにまだ彼女の気配を感じたのは、そのしとしと雨の画にあまりにも馴染んでいた彼女だったから、残った雨模様とパンジーが見えるだけでその気配を想起させられたのかもしれないし、彼女が座ったイス、テーブルが、離席後も着席中の位置とかわらずにあったからかもしれない。いや、最初から、彼女の気配しか見ようとしていなかったということかもしれなかった。
湿気た空気とコーヒーの香りにいぶされて実体と出会っていない。私はそのような生活を送ってきた。虚ろなもの、光や陰影 空気 気配 風 景色 臭い 色 動線 虚線 湿り 乾き 空想 想像 心。誰か何かと向き合うことや出合うことは遠い。
「雨の降っていない曇りと雨降りの曇りとでは、雨降りの方が明るい。まっ白い曇りの日の空は本当はまぶしい。まぶしいのは雨がまっ白い曇り空の中で光をたくさん含んで帰ってくるから」
美しいものだけを信じた童心にかえりたくなっていた私は仮説を立てた。
水に濡れた家々、通り、ビニル傘が白く光っている。白い曇天が窓ガラスにうつりこむ。車のボンネットも白い。フロントガラスも白い。道をゆく犬の瞳も、道路にたまった水たまりにも白い光。コーヒーショップの看板の黒い文字も、曇り空をうつしこんで白んでいる。あそことここも白い。白く光っている。お会計をして店を出た。白い光にだけ集中した。音も臭いも風も湿度も、そこをゆきかう人や車やパンジーのことをおきざりにして、歩をすすめる。すると、目にうつる景色はどんどん白であふれてゆく。まったくの白になる。目だけになったような気持になる。身体に光だけためていく。身体が無くなってしまうかもしれない、というところまで空想がおよんだところで、窓際の席に座っていた女性が、花屋の軒先で店員から紙袋をうけとっているのに遭遇した。
中身をとり出して確認し、「まちがいない」といった風にうなづき、店員に何か予約票のようなものを渡して会計をしていた。女性の手には「 」の種がにぎられていた。
あぁそうか、彼女は実体のあるものを育てる人で、霧みたいにどこかに現れては消えて現れるようなそんな存在ではなかった。当たり前だけど、私の仮説と空想遊びはそこでおわった。
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次回は、また別の日の「喫茶文」の様子をご紹介します。
年内のワークショップは全て終了しましたが、来年も1月・2月に開催します。
3月には展示もします。
少しでもご興味・ご関心の湧いた方は、ぜひワークショップにご参加くださいね。
ご質問はwebのお問い合わせフォームから承っております。どうぞご気軽に。
(文・背中す春)
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